妊婦
ある朝僕が出勤すると会社の女の子たちが次々に口を揃えてこう言った。
「実は赤ちゃんができたの…。」
営業の岸田さんも、経理の五木田さんも、総務の村上さんも、マーケティング部の
西野さんも…。まあ、そういう季節なのかなぁと初めはさほど気にとめなかった。
だが、密かに憧れていた役員秘書の広沢さんまでが「うっぷ」と
口をおさえてトイレにかけこむのを見た時、僕はショックで軽い金縛りにあった。
まさかと思ったが勤続30年の松田さんが
『はじめての妊娠と出産』などという本を
こっそり読んでいるのまで目撃して、これはただごとではないと感じた。
そしてどの女性たちもみんな幸せそうな顔でこう言うのだ。
「10月10日が予定日なの。」
ということはおおよそでいうと1月の上旬にことは行われたことになる。
1月の上旬といえば1年で一番寒い季節だ。
みんな温もりが欲しかったんだろうか。
そう思った瞬間ある一つの記憶が生々しくよみがえった。
そういえばその頃、僕はすごく奇妙な夢を見たのだ…。
************************************
深夜、僕がベッドの中でふっと目を覚ますと
一糸まとわぬ姿の女が隣に横たわっていた。
そして彼女は暗闇の中で僕に身体をすり寄せ、
甘い声で囁くようにこう言ったのだ。
「ねえ、あなたのアレをちょうだい」
「き、きみは誰?どこから入ってきたの?」
「何も聞かないで、ねえあなたのアレをちょうだいな」
深夜のベッドの中で裸の女が欲しがるアレといえば、アレしかない。
僕はかなり動揺した。というより何が何だかわからなかった。
けれどカーテンのすき間から差し込む月の光を浴びて、
その女はひどく美しかった。
これは夢だ、夢に違いない。
やさしい力に操られるようにそっと女に腕を伸ばすとその身体は
湯上がりのように温かく、子どもの頃一緒に寝ていたぬいぐるみのように
抱き心地がよく、甘やかで懐かしい香りがした。
「ね、ねえ、でも君は一体どこから来たんだい?」
「あなたの耳の中からよ。
ねえ、そんなことよりこれ以上ないってほど優しくアレをお願いね」
やっぱり、これは夢だ。夢なら何も気にすることないじゃないか。
僕の頭は次第に麻痺して行き、
いつのまにか女のカラダに身を沈め、しばし溺れた。
そしてめくるめく時が流れる…。
「あなた、とっても素敵だったわ」
女はため息のように深い静かな声でそう言った。
「でも君はなぜここに来たんだい?」
女の髪をなでながら僕は痺れの残る朦朧とした頭で尋ねた。
「すべての女の幸せのため。私はその代表に選ばれたの」
「すべての女って?」
「ううん。そんなことあなたは心配しなくていいのよ。」
なんだか訳がわからない。
ただ例えようもなく僕はその女がいとおしいと感じていた。
もう理性や理屈なんかどうでもよかった。
ただこの瞬間が永遠であるように彼女をもう一度抱きしめた。
やがて僕はそのまま深い眠りに落ちていったのだ。
(というか初めから眠っていたんだとは思うのだが…。)
************************************
突如あの時のあの夢がリアルに僕を襲い始める。
たしかあの女は「すべての女の幸せのため」と言っていた。
思い出したとたんに稲妻のようなものが脳裏を走り
そのとたんに足元がふらつきはじめる。
職場に大量発生した妊婦たちと
僕のこのばかげた夢には何か関係があるのだろうか?
ばかな、冷静になれよ、
僕が複数の女性を同時に妊娠させるなんてナンセンスだ。
それにあれは夢だったんだから。
だが待てよ、もしあれが現実の出来事だったとしたら…?。
あの女の子宮を通して、
僕の精子があらゆる女たちに転送されたのだとしたら…?
まさか…。
僕の手のひらにあの夜の女の感触が蘇る。
あの女は一体誰だったんだ!
脇の下から冷たい汗が流れ落ちる。
僕のDNAは知らぬ間に大量コピーされているかもしれないのだ。
だが、そんなバカなことは誰にも聞けない。
確かめる術もありはしない。
僕は悶々としたまま、
数え切れないほどのまだ見ぬベイビーたちに怯えながら、
10月10日を迎えるしかないのだろうか。
神よ、今この瞬間、世界中に
僕の遺伝子を持つ胎児が溢れかえっているとしたら、
もはや僕は生物として使用済みということになるのですか?
「そんなばかな!」
かぶりを振ってふと窓の下に目をやる。
ビルの隣にある産院の入り口には
見知らぬ女達の幸福そうな行列がどこまでも果てしなく続いていた。
STORY BY LULUCA
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10月10日は私の結婚記念日です。
なぜ10月10日に結婚したのかというとその日が
イレイレの日だからというのはくだらないウソで、
かつては祭日だったからです。
そうすれば毎年結婚記念日はお休みでのんびりできて
いいんじゃないかな〜と当時は無邪気に思ったわけです。
でも、ある日気がつけば10月10日はただの平日になってしまいました。
で、結婚記念日もなーんか忘れてしまう(っていうか忘れたフリか?)
フツーの日に成り下がっています。
このストーリーとは何の関係もない話でした。ちゃんちゃん。
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