【カメ当番】
「しょうがないじゃないの、なっちゃったんだから。」
「だって洗おうとするとひっかくんだもん!」
夫がカメになってから早2年が過ぎようとしている。はじめは
「生きてるとこんなこともあるんだよねー」と笑って過ごしてきたが、
その日から1週交代で娘と私はカメ当番をしなくてはならなくなった。
甲羅をたわしでこすって、たらいを洗って水を変えてエサをやる。
それだけのことではあるが毎日やるのは非常にうっとうしい。
娘は自分の週になると決まってぶーたれる。
「ちょっと落としちゃだめじゃないの!」
「だって、またひっかいたんだもーん」
ひっくり返って床の上で手足をじたばたさせるカメ。
よもや世間はこれが私の夫とは思うまい。
だが現実はきちんと受け止めなくてはならない。
私たちはカメの妻とカメの長女として生きていく道を選んだ。
よろしくやろうよと決めたのだ。
さらに時がたち冷静になって考えてみれば、
別に夫がカメでも不都合なことは何もないことがわかった。
毎日の当番さえきちんとこなしていれば、
カメはただそこに毎日静かに生きていた。
昼間は誰もいないので甲羅の中に頭も手足もひっこめて
しカメっ面をしているようだったが、
朝と夜にはおカメのような笑顔で家族の会話に参加してくる。
父親参観日の日にはカメンを付けてこっそり学校へ現れたがすぐ子ども達
に見つかってしまうのがちょっと困った。
好物は金のかからないワカメスープとオカメうどんで
晴れた日はカメダのあられを持って家族で
カメノコ山にピクニックへ出かけた。
そんな時いつも彼はデジカメで家族の思い出を撮影してくれる。
誕生日には私のためにネットオークションで
カメリアダイアモンドを落札してくれた。
やがて夫は娘のリコーダーをマスターし、
カメルンルンの笛吹きと呼ばれ日銭を稼ぐようになった。
その名声は次第に高まりカメ井大臣から表彰されて
我が家のカメイは一気に高まった。
広告の仕事をしている私は彼の姿をロゴにデザインし、カメノコたわしの
スポンサーから絶賛され、大金がころがりこんだ。
蒸し暑い熱帯夜には脚の間にカメアタマをそっと挟めばひんやりと
心地よく、しばしば娘と奪い合いになった。
冬は冬眠するので少し寂しいが、その期間は当番からも解放されて
しばし娘と二人でハワイへ行き、
カメハメハ大王像を眺めながら春の訪れを待った。
それは紛れもない幸福の日々だった。
このまま彼は千年の時を生き続けるのだろうか。
だがこっちの命はそんなに持ちはしない。
そうしたら彼はひとりぼっちになってしまうではないか。
彼もそんなことを望むはずがない。
どうすればいいんだろう。そういえばカメの生き血を飲むと
長寿になると聞いた。
ならば私の命が果てる日が近づいたら、
ひと思いにスパッとやってググっとしよう。
ついでにすっぽんスープもこしらえよう。そのエキスは私の体内に入り、
私たちは精力絶倫なまま時を超えて永遠にひとつになれるのだ。
ESSAY BY LULUCA
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「娘が5歳の時、
『カメにひっかかれるのが怖いの…。
カメ当番がいやだから保育園に行きたくない…。』
と難儀な問題を私につきつけました。
こりゃまじいな〜と、慌てて先生に相談しましたところ
『ママもカメ当番を一緒にやるから保育園に行こう』
ってことで娘に登園を承諾させました。
その日から10日に1回はまわってくるカメ当番…。
私の手帳には<○月○日カメ当番>という書き込みが定期的に記され
その頃はまだ会社勤めだったので、出社前にガキンチョの中に混じって
娘とカメの甲羅をたわしでこすったり、
園庭をのそのそ逃げ回るカメの見張り番をやってました。
春、夏、秋と季節が移りやがて冬眠の時期になりました。
カメを園庭の土に埋める儀式が終わるともうその年度のカメ当番は修了します。
それをもって私もめでたくお役ご免となったわけです。
ラムネ、チョコ、ゴロの3匹…、
あのカメらはまだ生きているんでしょうか。
そして、あの後も私のように「カメ当番」という大役を
仰せつかったママはいたんですかねえ。
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